2006年03月06日

No16  2004/02/05発行

    1994年__2004年
   大きな幻覚. . . . . .
        . . . . .  大きな失望
   
   10年後
     表面はチャパスの山々、密林の風景は、10年間、何も変わ
   っていないように見える。
   しかし、インディヘナの織物と同じく、よく、見たら、違いが
   見える。
   Polhoの山々の間に、私兵隊に追いやられた7000人のイン
   ディヘナの避難所がある。
   従軍キャンプは、もっと頑強にされている、そして、その地
  から数キロ離れた場所に、看板がある。
   「貴方は、サパティスタの地にいる。ここでは、人民が命じ、
  行政が、それに従う。良い行政は会議で。世界に向けての、サパ
  ティスタの中心的心情。」

  .......
   死は忘れられない。   
   チャパスで、メキシコの人々の目の前に、戦いの轟音が鳴り響
   いて、もう、10年になる。
  国の南、チャパスでの戦いの最初の死者の映像が次々と現れるまで、
  何が起こったのか信じがたく、どう、反応していいのか分らなかった。
  全ての誕生と同じく、サパタ国家解放軍の国家政治への舞台登場は、
  痛々しいものだった:
  
  国防庁によると、12日間に9人の兵隊、61人のサパティスタ、24人
   の警察、そして、その上、100人以上の行方不明者と報告され
  ている。
   ......

  10年が過ぎた。そして、暴力や死のイメージは、複雑な現実を生きる 
 若者達の新しい世代の前では、消えたように見える。戦いがないと
 言うのは、平和の保証だと、今、言っても、それは、チャパスでは、ご    
 まかしである。
     

   <おばちゃん的解説>
 メキシコのサパティスタについて、知っている人も、知らない人もある
 と思う。
 本当のところ、サパティスタについて、説明するには、メキシコの歴史、
 社会についてから、話さなければならないと思うが、
 私は、今、それを、話しきれない。

 1994年1月1日にメキシコ チャパス州で、サパティスタというインデ
 ィヘナ達の戦いの蜂起があり、今年で10年が過ぎたけれど、問題は
 何も解決してはいない。  
 
 2001年、サパティスタが、キャラバンで、メキシコシティー入り
 し、国会で演説し、メキシコ国民の大勢の人々の注目を浴びた、
 そして、その後、インディヘナ法の立法とか、騒いだけれど、
 サパティスタの騒ぎは、あの時終わったかのように、今は、まったく、
 ニュースにも出てこなくなった。
 だが、今なお、避難キャンプで生活する大勢の人もあり、問題は何も
 解決していない。
      
 インディヘナの人々は、メキシコ社会で、昔から、相変わらず
 虐げられ、貧しい。メキシコがスペインに征服されて、先住民
 であったインディヘナの人々は、植民地時代、奴隷として、搾取 
 苦しめらた、そして、それは、独立して、民主主義の平等憲法で
 あるにもかかわらず、すーと、変わっていない。

 過去にも、サパティスタと同様に、色んな所で何度も、 虐げられ、
 圧制され続けてきたインディヘナの人々が、武器を持って立ちあが
 ったが、いつも、国を支配する政府によって弾圧、鎮圧され、多く
 の命が失われた。

 そして、ずーと、虐げられ、貧しいという現実は変わらない。

サパティスタも、世界の他の地でも、貧しく虐げられた人々は
どうしょうもなくって、時には、武器を持って立ちあがるのです。
rebelde(反逆者)guerrilla(ゲリラ)の名
で呼ばれ、反政府というレッテルが貼られているが。

   


posted by おばちゃん at 14:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 2003/12〜2004/6
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