La Jornada 8月17日新聞より
3人の漁師はNoa de China(植民地時代アカプルコ〜マニラ間を往復したガレオン
貿易船)のルートを流されて、オセアニアで助けられた。
2005年10月28日の早朝、モターボートでサメ漁に出かけたが、ガソリンがなくなってし
また。
魚台湾船に助けられるまで、魚やかもめを捕って、雨水を飲んで、生き延びた。
海洋学者によると、それは、まさに、4世紀以上前のNoa de Chinoの航路であると。
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<おばちゃん的解説>
漂流の期間の長さで、きっと新記録ものであるかも?である。
昔、植民地時代、メキシコのアカプルコから、フィリッピンのマニラまで、貿易船が
通い、当時のニエバ エスパーニャとアジアの貿易が行われたが、この船は、当時
m まさに、帆船であった。
小さなガス欠のモターボートは、この同じ風に流され、それに逆らう事もできずに太
平洋を
漂って行ったという事。
植民地時代の貿易船の帰路は、マニラから、北に向かい、つまり、日本沖まで行っ
て、
今度は、西から東へ吹く風に乗ってアメリカ西海岸に着き、そこから、また、アカプ
ルコ
まで南下した。
漁師は、5人だったそうだが、途中で2人死んだと。
漁師といえば、日本の殺された猟師のニュースがあったばかりだ。
8月18日 記
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3人の9ヶ月小船で漂流した後、助けられた漁師、無事、我が家に辿り
ついた。
村で、英雄並の大歓迎を受けた一方、9ヶ月も漂流してたにしては、元気
過ぎとか? 日焼けが足りないとか?
麻薬の仕事をしていたんではないか?とか。
疑いをかけられ、メキシコに着いたとたんに、メディアの質問詰にあい、
そんなに疑うなら、嘘発見器にかけてもいいと言ったとか。
映画を作るお誘いや本を書いてというお誘いもあるそうで、ながいながい漂流の
後は有名人ですね。
こっちにも来てくださったんだ!
そう、なんかずいぶんメキシコへ着いたとったんに、いろいろ質問されて、いろいろ疑われたようですよ。
でも、一応、今のところ、あと二人の死んだ仲間の事は質問するけど、その他は、あまり、検察では、調査しない風な、という今の所、そうな感じですよ。
そん他、メキシコ政治が結構混迷しているので、人々の気をそらすという政府のでっち上げ説まであったりするようですが。